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夜は光とおしゃべりをする|にちようだな

 ここ数年、外にいる時は夜が多くなりました。歩いていても自転車や電車に揺られていても、暗くなってからの空気のほうが気楽です。すっかりなじんでしまったので、仕事の都合も夜に合わせるようになりました。

 夜は怖い時もあるけれど、意外なタイミングで人を親密にします。昼だったら人の波に埋もれそうなしぐさも見つけやすいのです。たとえば、友達に会うためにケニアから日本に来て、アパートの群れの中で迷っていた女の人に助けを求められたけれど、昼なら他の誰かが手伝ったかもしれません。丁寧な日本語や身ぶりで説明してもらい、部屋がある棟まで案内したら困り顔が笑顔になっていたから、あのあとうまくいっているといいけれど。

 話がそれました。そんなわけで夜になると外にいます。そしてすぐに、自分の視力が落ちているんだなとがっかりしました。空を見上げて星座を探したくても星の位置が分からないし、そもそも星が沢山見えるほど澄んだ空ではありません。

 いつの頃からか、路上で照明を見つめる癖が身につきました。何しろ目が良くないので、照明の色は区別できても距離によって形がコロコロ変わります。遠くに青いクラゲのような光があると思ったら、近づくにつれて黄や赤に変わり、ふよふよと揺れるクラゲのシルエットが次第に円盤になり、最後に信号としての姿がはっきり現れる感じです。

 何を言いたいのか分からないかもしれません。自分でもよく分からない時があります。赤いキノコと青いヒトデが交互に光っていると、歩行者用の信号だろうなと分かっていても楽しんでしまいます。目の乾き具合によって光の散り方も変わるので、運がよければ文字の流れる電光掲示板が花火大会のフィナーレのようにパチパチとはじけます。

 最近になり、この灯りの移り変わりを絵に描いてみるのはどうだろうと思うようになりました。白い紙だと伝わらないから、黒い紙にカラーのサインペンやマーカーで描くといいのかもしれません。

 しかし、いつどうやって描けばいいのやら。夜中に道端でスケッチをしているのは不審者では? 自分の目の中の光景なので、スマホで撮っても印象がまったく違います。写真からスケッチするわけにもいきません。

 これが近頃の日常の悩みです。実は書いている途中で、光が動く生き物に見えるのは子供の頃のプールサイドが初めてだったのを思い出したのですけれど、それはまた別の物語ということで。



テーマ『私の日常』

2024/3/31発行「ちがう生き方」第5号掲載

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