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みんな、ではなく。だれか、の心に残る一文を。|hamapito

更新日:3月31日

 九回裏、点差は九点。ヒットはわずか二本。チームの誰もホームベースは踏んでいない。午後四時を過ぎて始まった、この日最後の試合もあとアウト三つで終わり。野球は最後までわからない。とはいえ、強豪校同士の対戦で、この一回で追いつくのは難しいだろう。せめて一点でも取ってほしい。中央席に座る観客のほとんどがそう思っていたのではないだろうか。私もその一人だった。

 フォアボールを選んだだけで拍手が起こる。ヒットが出れば歓声が上がる。ホームを踏んだ瞬間の盛り上がりは球場全体に響き渡っていた。繰り返されるアルプススタンドの応援を手拍子がさらに膨らませる。ここまで繋がらなかった打線が繋がり、気づけばネクストバッターズサークルにはこの回最初の打者の姿。ツーアウト。点差は五点にまで縮まっていた。あと一点でも入れば。四点差ならわからない。球場を包む一体感と盛り上がりはこの日一番だった。

 打席に立ったのは強打を期待されながら、この試合ではまだヒットのなかった選手。ひとりひとりが繋いだからこそ回ってきた打席。途切れない応援曲と手拍子の中、甲高い打球音が響く――。

 奇跡は起こらなかった。ユニフォームを真っ黒にして滑り込むも、判定はアウト。試合終了の瞬間、球場に鳴り響いたのは拍手だった。

 試合なのだから、勝敗がつく。終わりは必ずあって、手にした結果と手に入らなかった結果がある。「勝利」という結果を信じるからこそ、諦めずに戦う。その姿勢に多くの人が心を揺さぶられるのだろう。

 結果がすべてじゃない。手にしなかった結果にも努力はあって、かけた時間が存在する。その試合で負けたとしても、その打席で打てなかったとしても。これまでのことが消えるわけじゃない。

 私が捨てたのは「結果だけを見ること」だ。

 趣味で小説を書き始めたのは、七年前。投稿サイトの使い方もわからなかったが、誰かが読んでくれるとわかるのは嬉しかった。閲覧数がわずかでも増えれば大喜びし、感想をいただいたときは毎日のように読み返した。そのうち同じ創作仲間ができ、もっとうまくなりたいと思うようになり、昨年からは公募にも挑戦している。

 読まれるだけで嬉しかったものに、結果や評価がつくのはいいことばかりじゃない。入賞できたときは嬉しかったし、もっと頑張ろうと思えた。最終候補で落ちたときは悔しかったけど、残るだけのものを書けたという自信になった。でも、何も結果を残せなかったものは、どうしていいかわからなくなった。

 自分が書きたくて書いたもの。自分が好きで書いたもの。投稿サイトや同人誌を読んで感想をもらったこともある。誰かには届いている。それでよかったはずなのに。どこかが足りないから、どこかがダメだから、この結果だったのだろう。小説の公募なんて狭き門なわけで、自分より上手い人なんてたくさんいる。落ちても仕方がない。公募の結果を受け止めることはできる。だけど、作品自体には、どう向き合えばいいのか。何かが足りないものを公開し続けていいのか。何かがダメなものを頒布し続けていいのか。できるなら自信を持って届けたい。だからこそ悩んでしまう。

 正直なところ、今もまだしっかり向き合えたわけじゃない。でも、自分が「書きたい」と「好き」だと思ったことを否定したくはない。結果を求めて書いたものも、そうでないものも。等しく私が「書きたい」と思ったものだから。

 結果を見ることは大事だけど、結果だけを見ることはしないように。

 評価を受け止めることは大事だけど、ひとつの評価だけに囚われないように。

 みんな、ではなく。だれか、の心に残る一文を。

 その「だれか」のひとりは、私なのだから。



テーマ『捨てたもの』

2023/9/24発行「ちがう生き方」第4号掲載

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