予想しない出来事が起きた時。何かのギャップがあった時。そんな時に、私は生きていると感じます。
たとえば、食べた時に思わぬ味がしたり、意外な光景を見たり、足を滑らせたり、重なった音に驚いたり(声だけの曲と、声のない曲を重ねて聴くのが好きです)。
そして、ものが盗まれたり……そうなのです。最近、盗まれました。
よく行くショッピングセンターで、いつもより少し長い買い物。用事をすませて少し暖かい気分で駐輪場に戻ったら、あるはずの自転車がどこにも見えず。しばらく行ったり来たりしても、やっぱりいません。
あのロードバイクはどこだろう? 軽くて、走りやすくて、疲れにくい。座っていることの多い私にとって、自転車は体のゆがみをリセットしてくれる大切な仲間でもありました。なくなっているのがはっきりした時は、地面にめり込んだように頭が重くなりました。乗らない日が続いて体がギクシャクすることを想像するだけでもまいってしまいます。
でも、その時は、生きているのを感じていたと思います。自転車を見分けることに集中したり、警備員さんを呼ぼうか考えたり、近くの交番はどこだっけとか、防犯登録はどこにしまったっけとか思い出そうとしたり、せめて駅が近くてよかったと無理矢理ポジティブになってみたり。
もちろん、「いま、生きてるって実感してる!」と考えるような余裕はありません。でも私にとって、いちばん強く生きていると感じるのは、予想もしない出来事にぶつかったあとで振り返る時なのかもしれません。その時はとにかく夢中で、あとから「あの時は、生きていたなあ」と思うような感じです。なんだか前回も似たようなことを書いたかも。
実は、これを書く少し前に自転車が戻ってきました。なくなった駐輪場からだいぶ離れた、川に近い交番に停めてあったそうです。もう会えない気がしていたので、見つかったという電話をもらって、喜ぶよりも先に驚いてしまいました。
夜に再会した自転車は、最後に乗った時と同じような姿でした。太陽の下で見たら、もしかしたら変わり果てているかもしれませんけれど、まずは帰って何より。戻ってこなかったら、このエッセイでも全然違う話題を選んでいたでしょう。
予想していなかった喜び(お帰り!)、怒り(盗んだ奴め〜何者だ?)、そして戸惑い(どうしてわざわざ交番のそばに乗り捨てたのか……)のかたまりを噛み締めながら、書いています。
テーマ『生きてるって感じること』
2022/12/17発行「ちがう生き方」第3号掲載
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